Lightning Ridge ライトニングリッジ ライトニングリッジ 200605
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 カテゴリー「飯」を作ってから一度もエントリーしてないので、今日は食について書こうと思う。

 DJ.Tは私が知りうる交友範囲の中で、もっとも料理がうまい人物だ。彼の料理はかなり手荒い。繊細とか洗練された技術とか微妙な味付けといったものからはほど遠く、適当で豪快、私のイメージするところのまさに「男の料理」、材料を鍋に投げ入れるとかぶっ込むとかいった表現がしっくりくるし、お皿だってバンバン割る。共同で使っていた食器も彼が手荒く扱うせいでどれもが欠けてしまっている始末。そんな彼だが、不思議と何を作ってもまずくはならない。「彼が作ればなんでもおいしい」という私の激しい思いこみもあるかと思う。かるく炙ったレーズン入りブレートヒェン(パン)の腹をかっさばいてそこにバターを乗せるように置く、といった単純作業すら心にくい。脂身の少ないステーキをたっぷりのオリーブオイルで揚げるように焼く、スライスタマネギは極弱火でほったらかし真っ黒に2時間ロースト、サラダとミックスハーブの量は半々投入、といった壮快かつ荒っぽい作業の末できたものは、どれもこれも食べてみるまで気づかない、意外な発見のあるおいしさだ。彼は、調味料を含むすべての材料は値段にかかわらず、常に手に入れられるなかで最高のものを選ぶ。「まずいものからおいしいものはできない」「俺はおいしいものがたべたい」というのが彼の信念らしい。以前、夜もそろそろ夜も更け始めようという頃、タイ風グリーンカレーがどうしても食べたいと言いだし、近所のレストランに行くよりも「俺が作った方がうまい」と夜10時から突如材料買い出し。どこからどうやって仕入れてきたのか、なんとかガイやら(名称不明)フレッシュレモングラスやら肉厚の月桂樹のようなスパイスやら(名称不明)黒ずんだショウガみたいのやら(名称不明)、ココナッツミルクこそ缶詰だったが、見たこともないような妖しげな材料でつくった本格的グリーンカレーはうなるほどおいしかった。
 彼がどうしてこんなに料理がうまいのか、私が知っているいろんな事実を照らし合わせながら考えてみると、結局たどり着く結論は贅沢なものを食べながら育ったので舌が肥えたからだろうと思われる。彼は若いうちはかなりお金持ちだった。(今はどちらかというと貧乏)。そんな生活環境がプラスとなって、彼生来の料理スキルがアップしていったんだろう。
 ちなみに1年ほどの同居生活で、彼が唯一褒めてくれた私の手作り料理は、ガス炊き白米。よろこぶところなんでしょうかね。日本食ではお好み焼きとエビ天ぷらが好きらしい。

 前置きが長くなってしまったけれど、そんな彼の料理の中で、私がもっとも賞賛する、彼がプッタネスカと呼んでいたレシピをご紹介。了承取ってないけど。肉や魚介類の入っていないパスタ料理でこんなにおいしいと思ったことはない。(あ、ペストがあったね。)彼はプッタネスカと呼んでいたけど、これはプッタネスカじゃないと思う。だからDJ.T風プッタネスカと呼ぶことにしている。私は普通のプッタネスカより、DJ.Tのプッタネスカの方がぜんぜん好きだ。

【材料】ひとりぶん
パスタ(DJ.Tは通常、生フィットチーネを使用。私は普通の乾燥スパゲッティ)
酢漬けブラックオリーブ  10個くらい
塩漬けケイパー  オリーブと同量くらい
紫タマネギ(普通のタマネギなら、水につけたりして辛さ調節)半個くらい
トマト 1個
にんにく 1かけ
チリペースト 適当
バジル(絶対フレッシュなやつ)適当、多めがいいかも
塩、こしょう

【材料】
ブラックオリーブ、ケイパー、にんにく、をフードプロセッサーで適当な荒さにがーっとする。(フードプロセッサー持ってない人は適当にみじん切り)。トマトとタマネギは5mm大に角切りし、ゆでたパスタにこれらをあえて、その上にチリペーストとちぎった生バジルをのせてできあがり。
具を先に作っておいて、30分ほどおいて味がなじんできたところでパスタをゆで始めるといい感じ。フライパンで具をパスタごと少し炒めてもおいしい。味が足りないときは後で塩こしょうするか、ブラックオリーブまたはケイパーを足す。

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テーマ:手作りごはん - ジャンル:グルメ


 昨日、車の中で旦那を待っていたときのこと。ぼーっと駐車場を歩く人びとをながめていたら、ちょうど視界に入った車が2台、気づかないままそれぞれバックで移動し、お互いの車のおしり同士がモロ衝突。ものすごい音に立ち止まる歩行者たち。皆がシンと見守る中、ドアが開き、白い車から中年の黒人男性が、黒い車から若い白人男性が現れ、これは殴り合いでも始まっちゃうんかなぁと成り行きを見守っていたら、お互い自分の車の壊れ具合を確認後、同時に顔を上げ、目を合わせ無言で固い握手を交わし、軽いハグの後、何事もなかったようにそれぞれの車で去っていった。アメリカ人のこんなところが好きだ。どっちの車もボロだったのが功を奏したんだとは思う。

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テーマ:旅記録 - ジャンル:旅行


昨日、勢いで書いたまま推敲もせずにアップして、今日読み直してあまりの読みづらさに焦って修正。ついでにその前のエントリーも読んでさらに焦ってまた修正。読みやすくなっているかはあんまり自信ない。でも句読点はいっぱいつけました!今日は修正だけして疲れました。今後もう読み返すのはやめよう。

今日バスに乗ったら、モーフィアスそっくりな女の人がいた。あまりの威圧感に思わず道(通路)をゆずった。


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 件の香港ハウスに居づらくなってきた当時、シティ近郊で家を探しはじめた。安全エリア、低家賃、新築、学校まで歩ける距離、、、条件を書き出したリストはいかにも頭の悪そうな単語の羅列で、低家賃と新築の条件を隣り合わせに配置するあたり、自分の程度を改めて思い知らされげんなりしたが、希望通りのところが意外にも見つかった。家探しを初めて3日目、安全な地区とガラの悪い地区の境目に位置するその家には、犬2匹、猫2匹、ゲイ2人(カップルではない)が住んでおり、ここで私は10ヶ月ほど暮らす事になった。
 明るいブルーの外壁のそのクイーンズランドハウスは、正面の階段をのぼりきったところにバルコニー仕様の玄関があった。そこは木の格子戸でがっしり囲ってあって、ネットでのうたい文句のとおり「とってもセキュアです!」といった感じ。何者をも寄せ付けないほどのその囲い込みっぷりに、源平合戦、兵糧攻めとかいった単語が頭に浮かんだ。ここに決めた大きな理由の一つは、のちの同居人DJ.Tが、アポイントメントの時間変更をしたい旨をきちんと事前に電話で連絡してきたから。たいていオーストラリア人はイージーゴーイングで、言い換えればそれはいいかんげんともいえるわけで、約束してた時間に行っても予告なく家にいなかったりする。私の中ではありえない。遅れても連絡はしてもらいたい。
 下見に行ったときはまだ彼らも引っ越ししたてで家の中はものであふれかえっていた。「来週なら片づいていたはずなんだけど」と言い訳するあたり、これが片づいてないと分かっている程度はきれい好きなんだろうととりあえず自分を納得させながらぐるりと見渡してみると、1m大の片足のとれたアトムのとウランちゃんフィギュア、名前忘れたけどこわい人形の映画ドール(チャイルドプレイだったかも)、傾けると芸者がウインクするホログラム仕様のフォトスタンド、セクシーエジプシャンのマットな油絵が数枚、70年代風のキッチェな大柄模様のカーテン、今思えばいかにも彼が選びそうなツールの面々。彼は青い目の金髪で、オーストラリア人らしくどうしてもせり出してくるお腹を抱えてるものの、ジムに通っているようでそこそこボディラインはキープしていた。当時、私と同じ28。音楽は80年代とハウスが好みらしい。私は家具音楽もろもろの彼のセンスが好きだ。気が合いそうだった。私が日本人だというと「俺、聖子とあゆみもってる」とハウストランスナイズされた松田聖子と浜崎あゆみのレコードを持ってきて、聖子のjust for tonightとかなんとかというナンバーが気に入っているといった。「俺DJなんだ。2ブロック先の角にあるクラブで週末やってる。今度おいでよ」といって、ついでのように家の契約もその場で決めた。
 行くまでに何で気づかなかったのか、そのクラブはあたり前のようにゲイバー&レズビアンバー。とはいえ圧倒的に女性の数は少なく、しかもアジアンフェイスの私は、さほど大きくない都市のクラブでかなり浮いていたと思うが、幸いその日は週末でそんなことはどうでもいい程混み合っていた。DJ.Tと友達のシイラと私の3人で出かけたが、DJ.Tはその日仕事があったのですぐにわかれて、シイラと2人でもらったドリンククーポンでちびちび飲みながら、ゲイカップルたちを眺めていた。みんな楽しそうだ。「私たちもレズカップルにみえるんだろうねぇ」とか「誰も話しかけてこないね」とか会話しながら、そのうちシイラは「でももしかしたらストレートがいるかもしれないから!」と物色の旅に出かけ、私は一人取り残された。私は急に話し相手がいなくなって、手持ちぶさたでタバコでも吸おうかと鞄をまさぐったが見つからず、買いに行くこうにもやっととれた座席を離れるのが惜しくて、となりに座っていた長髪のセクシーお姉さんに「タバコもらえませんか?払いますから」と聞いた。彼女はにっこりわらって、真っ赤な口紅がべっとりとついたその彼女が吸っていたタバコを、3cm程あるやっぱり真っ赤なマニキュアを塗った指で私にそっと差し出し、私はぎょっとしたものの拒むのも失礼かと思ってそのまま吸った。そういえばここはゲイ&レズビアンバーだったと酔った頭でふかしながらぼんやりと思い出す。そのうちシイラががっかり顔で帰ってきて、となりにあったポーキーで遊んで、そのあと少し踊ってうちへ帰った。

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テーマ:オーストラリア - ジャンル:旅行


 3年程まえの二度目のオーストラリアで、1986年もののトヨタ・タラーゴ(バン)のボロ車を購入、その車で相棒とともに国内のアウトバックをふらふらと半年程放浪。ちゃんとしたキャンピングカーなど購入するお金がなかった私たちは、バンの後部座席をすべて取っ払い、その空間を上下分割するように板を取り付け、その上部をベッドに、下部を収納スペースとして使用し、シャワーやトイレは公共のものやキャンプ場のものを使いながら、半年間ずっとこの車の中で寝泊まりしていた。旅自体はすばらしかったが、あのころの野宿生活はほんともううんざりで、あんな生活はもう二度としたいともできるとも思わないけれど、得たものはたくさんあったと思う。
 その旅で、日本ではあんまり見かけない、世界の比較的気候の温暖な地域に住む先進国版キャラバンたちの存在を知った。私が今まで旅したアメリカやオーストラリアには、Motor HomeやRVとよばれるキャンプ車が住居用に発展したような、1Kアパートにタイヤがついたような移動型住居車に暮らしている人達が、けっこうな数で存在する。その住居専用RVパークやキャンプ場は、一種のコミュニティというか集合住宅の態を様していて、そのプロパティはまわりがどんな環境であっても、たとえば海岸沿いや砂漠のどまんなかであってもまるで隔離でもされてるかのように、囲まれた柵を境目として独特の雰囲気を醸し出していた。実際そんな生活をしているのは、普通のサラリーマンだったり、隠居老夫婦だったり、無職引きこもりだったり、コンベンションプランナーや、会計士といった高所得者がいたり、普通のアパートと面子はあんまり変わらない。気のいい人なつこい人たちが大半を占めていたが、周りと一切接触を断ちなにかトラブルがあればエンジンを吹かしてブーンと走り去るタイプもけっこういた。ただMotor Homeで暮らしている人たちは、アパートでもマンションでも家でもなく、Motor Homeで暮らそうと決めた人たちで、その理由は様々。寒くなれば南下、暑くなれば北上、気が向いたときに車ごと引っ越せる、生活コストが安くすむ、老後をのんびり自由気ままに旅して回りたい、単にキャンプ生活やRVが好き、などといった魅力が主な理由らしい。日本人に会ったことはまだない。(キャンピングカーで旅行している人たちはけっこういたけど)彼らはものすごい回数の出会いと別れを、ものすごいスピードで繰り返す。パブでたまたま隣り合わせになった様な出会い。毎日が自然に囲まれたキャンプ生活、いつでも引っ越し自由、いろんな人たちとのたくさんの出会い、旅としては魅力的だけれど。一瞬の出会いを楽しむ毎日も悪くないんだろうけど、私は通り過ぎるごく短い出会いの連続の中に一生自分をおいて生活するのは耐えられそうもない。
 長いつきあいにいい具合にうんざりしつつ、詮索好きのご近所さんの顔色伺いながらゴミ出しに気を遣ったり、うだうだ忠告好きな親戚でもこまったときはまぁしょうがないお互い様、うわべだけでも繕って、助けの手は文句をいいつつ差し伸べる、そんな田舎くさい定住民族文化を選ぶだろう私はフレキシブルじゃないですかね。


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テーマ:おでかけ記録 - ジャンル:旅行


 私は旦那を共同所有してもかまわないと思う女友達が3人いる。そのうちの一人がイタリア系ブラジル人のシリアで、図書館秘書だったスージーが彼女をワンダフルクレイジーと形容したが、この凡庸なワードの羅列が、変わり者の彼女に意外にしっくりとくる。
 隣の席だった彼女はクラスでは最年長の33歳で、私が初めて学校へ通う事になった日の授業中、教科書も開かず女性週刊雑誌を読んでおり、サハラの主人公の写真の載ったページを開き、私次はこんな彼氏が欲しいんだよね、いいよね彼、とぶつぶつ独り言を言ったかと思うと突然大声で泣き出し、どうしたのかと駆け寄るジョアン(先生)に、私今日ちょっとホームシックなんだけど、帰っていい?と返答したと同時に立ち上がり泣きながら荷物を鞄にまとめ、呆然とクラスメイトがなりゆきを見守る中、授業開始から10分後には教室を出て行ってしまった。次の日、彼女は昨日あった事がまるでなかったかのような晴れ晴れとした笑顔で登校。「大丈夫?」と一応の社交辞令の声をかける私の質問には答えず「今日の夜クラブ行かない?」と聞いてきた。そのころ件の香港ハウスに帰りづらかった私はOKの返事をして、その日を境に私とシリアの仲は急接近、毎日のようにつるんで歩く小学生のように仲良くなった。

 とにかく彼女はいつでもポジティブで、見習うこと学ぶことはたくさんあった。彼女を通してブラジル人哲学?というものも学んだ。たとえば、街中を歩いているとして男がじっと自分を見たとする。私だったら「私の格好どこかおかしいんかな」と思うが、彼女の場合は「私のことが好きなのね」と思考回路が真逆であるようだった。「じろじろ見るのは興味のあるしるし」「変な格好の女をずっと見ていたいなんて訳ない」ということらしい。ブラジルのバーで男をじっと見つめていたら「この女は俺に気がある」という風になるらしいので、ブラジルへ旅行するときは自分の視線の行き先に気を配り、変な人をじろじろ見て勘違いされないよう、十分気をつけようと思う。
 そして彼女を通して彼女の友達のブラジル人たちとよく遊び回るようになり、私はその中で唯一の日本人だったが、くるもの拒まずの彼らにすんなりと受け入れられた。シリアの仕事仲間でもあった彼らはブラジルでは上流の生活をしていながら、オーストラリアではお金が続かずお皿洗いやトイレ掃除をしたりして生活費を稼いでいてた。もし私が彼らの立場だったら私は、お金に不自由しない生活からトイレ掃除をして生活費を稼ぐ生活を受け入れられるかどうか自信ない。
 バーやクラブで飲むと払いきれなくなるほど彼らは底なし笊だったので、安くあげるためにまず買ってきたお酒を誰かの家で飲み、勢いづいてきたところで夜の街へ繰り出す、そんな風にして毎週のように一緒に過ごした。シリアは、私がシリアを通さず彼らと直接会うとなぜか怒ったように不機嫌になり、M川は私が見つけてきた友達なんだからと、時おり子供のような独占欲を見せ、そのとき彼女には彼氏も居てたので、彼女はストレートよりのバイセクシャルなんだろうなぁと思ったのでその旨を伝えたら「ゲイはゲイ、レズビアンはレズビアン、ストレートはストレートでしょ!私はバイセクシャルなんて認めないよ!」と言ったので驚いた。
 平均的な日本人とブラジル人では、セクシャルに対する感覚がかなり違うようだった。一度うちでホームパーティをしたとき、既婚のオーストラリア人男性が、よっぱらってうちのもくちゃんにディープキスをかました。それをみて日本人勢(男女3人だったけど)は大喜びでヤジを飛ばし、反対にブラジル人勢(主に女性、5人くらいいたかな)は真っ青。その反応が両極端で興味深かった。「彼は結婚してるくせに男にキスするなんて信じられない」「まだ女にキスするならともかく」ということらしい。
 あと驚いたことと言えばトイレ時。多くのオーストラリアの家は、6畳間程の空間に、バスタブとトイレが一緒に設置されている。彼女がうちにずっと入り浸っていた時期があって、ある日の午後、シークレットガールズトーク、主に彼女がブラジルに残してきた2人の彼氏のことを飲み物を取りにいくタイミングも見つけられない程、居間でくっちゃべっていたところ、いきなりシリアが「ちょっと場所変えよう」といきなり会話をぶちぎって私をバスルームへ誘導。私のために折りたたみ式のいすをそこに広げ、自分はそそくさと便器に座って用を足しだし、小さなジャーという用足し中の効果音に並列して「そういえばそのときにさー」と彼女は普通に話しを再開。ブラジル人てみんなこうなんですか。

 ところで、最近どうもレズビアンという単語でここへたどり着く人がけっこういて、がっかりして帰る顔が目に浮かぶようで申し訳なくなる。これからはちょっと気をつけたいと思う。


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テーマ:ちょい旅 - ジャンル:旅行


 韓流ブームより5年ほど前に、eちゃんと韓国にいってきたときのこと。
 とにかく出だしが最悪だった。当時私は東京に住んでいてeちゃんは関西に住んでいたから、待ち合わせは韓国に現地集合ということになったのだが、今思えばそれがそもそも間違いのもとだった。eちゃんのために最初に断っておくと、彼女にまったく非はない。
 私より数日前に出発したeちゃんは、現地で安くてきれいな宿を自力で探し出し、その宿の詳細ととりあえずの待ち合わせ場所までの道程を、これでたどり着けないはずはないくらいそれはもう細かく丁寧にメールしてきてくれた。
 とりあえずの待ち合わせ場所はYMCAホテル前のケンタッキー2階、当日無事韓国へ降り立ち、メモを見ながら指定された番号のバス停へ向かう。ここまでは無事予定通りに事が進んでいた。バス停からは今まさにバスが出発しようとしているところで、バスの乗り口にいた係員に「YMCAホテル?」と聞いたら「イエス、イエス」と私を無理矢理バスに押し込んだと同時にドアが閉まり、後ろにいた後発のバスにせかされるようにして発車。メモによるとあとは20分くらいしたらYMCAに着くのを待つだけだった。一安心してぼんやりガイドブックを眺めていたが、30分経ってもバス内の電光掲示板にYMCAホテルの名はでない。40分経った頃に本格的におかしいと思った私は運転手に「YMCAホテル?」と聞くと、ノーノーといった後韓国語で何やら一気にまくしたて、韓国語はまったくわからなかったが、間違ったバスに乗ってしまったことだけははっきりと理解できた。約束の時間まであと20分、あたりはだんだん薄暗くなってきており、私は焦りはじめ、せめてここがどのあたりなのかだけでも知りたかったが、運転手は日本語はおろか英語もまったく話せないし、私も韓国語を話せない。それならバスを降りてタクシーを拾おうかと窓の外を眺めてみたら、バスは薄暗い裏通りを走行中でタクシーどころか人影すらなく、私はいよいよ絶望的な気分になってきた。おなかでも痛くなって公衆電話から救急車でも呼んじゃおうかなーなどとズルいことを考えていたら、乗客の一人がなにやら運転手に話しかけたのをきっかけに、ほかの乗客も5人ほどだったがすべてを巻き込んで大論会が始まってしまった。バスを脇に寄せて止める運転手。どうやら私のことを話してるようだ。が、言葉のわからない私はぼーっとなりゆきを見守っているしかない。そのうちサラリーマン風のオジさんが私に片言の英語で、このバスに乗っていてもYMCAには着かない、一緒に来なさい、と断る間もなく私をひっぱりすぐ1ブロック先にあった大通りに向かいタクシーを探しはじめ、私がおろおろしながら後ろを振り返ると、運転手を含む皆はもうバスに戻っており、そのまま私たちふたりを置いて行ってしまった。ちょっとまって私はこれからどうなるんですか、たまたま乗り合わせただけの身分不明の彼に私を託して大丈夫なんですか、と不安でいっぱいになった。ここでもし連れ去られてどこかの国に売り飛ばされでもしたら、私は完全に消息不明になるんだなぁなど考えながら、ここは怪しんでいるそぶりを見せてはマズいと思い、ともすればフレンドリーとも見える笑顔を必死に保ちながら彼にいろいろ質問してみる。が、聞いているのかいないのか相手は私を完全無視、無言でタクシーを探し続ける。もしかして本当にヤバいかもと思った私は一瞬逃げようかとも考えたが、相手は30代男性、私は大きなスーツケースを持っている、これを捨てていったとしても逃げ切れるだろうか、大きな通りだが周りに人気はない、と現実を冷静に見つめると絶望的な気分になり、たとえどこかの国に売り飛ばされるのかもしれなくても、こんなときにとっさの妙案が浮かぶような私でもなく、自分の不遇を呪いつつ黙ってうなだれているより他なす術がなかった。タクシーの運ちゃんが英語を話せることを祈りながら、もし話せなくてもいざとなったら暴れて訴えて助けてもらおう、そういえば私バス代払ってない、などと考えてるうちにタクシーに強引に押し込められた。
 結果からいうと、彼は人さらいなんかじゃなかった。彼のとの片言の英会話でわかったのは、東京で例えるなら品川から巣鴨方面へ行くはずが間違って千葉方面行きのバスに乗ってしまったという事、彼は仕事帰りで、今回の事の発端をはじめから見ていたという事。タクシー代いくらかかるんだろうかと聞いたら「いい、いい、自分が払う」というのでまた不信感がむくむくと沸き上がってきたが、しばらくしてぼそりと「間違ったバスに無理矢理押し込んだ韓国人の責任だから」といった。「でもあなたの責任でもないでしょう」と返したら「でも韓国人の責任だから」と苦笑しながら彼は答えた。
 残念ながら彼の左手の薬指には銀色の指輪が光っており(同時私独身)、フラグが立つこともないまま無事YMCAに到着。タクシー代を払ってもらい、何度も何度もお礼を言って別れた。仕事に疲れてこんな時間に彼はいまからやっと千葉(方面)の家に帰るのだ、またお金と時間をかけて。自分に何の利益にもならない出費までして助けてくれた彼を一時でも疑ってしまった自分を猛省した。旅は情け人は心。感謝。

 そうして待ち合わせ場所のケンタに着いたのは、約束の2時間後。外は真っ暗。お互い1時間待って会えなかったら宿で会おうね、と言っていたので当然彼女の姿はすでになく、とりあえず心配しているだろうから宿に電話をかけて、ついでにここから宿への道順も聞こうと思いメモを見たら、なんと信じられない事に私は電話番号を書き写してきていなかった。ここにきて自分のあんまりな間抜けっぷりに呆然、あきれ果てるを通り越して感動、と同時に疲れが一気に噴き出て思わず不適な笑みがこぼれ、周りの人に怪しまれる。幸い、宿の名前と住所だけは書いてあり、それだけを頼りに交番へ行ったが面倒がられて早々に追い出され、道行く人に聞いても誰にも知らないと言われ、ガイドブックにもこの地域は載っておらず、コンビニで地図を探そうにも見つからず、大きなスーツケースを引きずりながら体力と気力の限界を感じた私は、とりあえず今夜は宿に辿り着けそうもない事をせめてメールしようとネットカフェへ。その後、最後の気力を振り絞りダメもとでいろんな人に聞いてまわっているうちに、親切な夜遊び中の韓国人大学生3人組と出会い、彼らが一緒になってほかの人たちに聞いてまわってくれたおかげで、約束の時間から5時間後、とうとうeちゃんと感動の再会を果たした。彼女はものすごく心配してくれてて、私の姿を見ると同時に脱力、探しにいきたくとも私から電話がくるかもしれないと思い宿を離れる事もできず、5時間部屋の中でひとり悶々と過ごしたeちゃん。気の毒な事この上ない。私は本当に申し訳なくてただひたすら平謝り、でもバス代もタクシー代もゼロでここまで来れたんだよ、得した!といったら、このバカ救いようないといわんばかりににらまれてしまった。そうだよね、ごめん。

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食事前後には読まない方がいいですよ!
 
 今はアメリカにいる。あと2年程ここにいることになりそうだ。アメリカはソーシャルセキュリティーナンバーとよばれる個人IDがないといろいろ不便な事が多い国で、しかも外資系企業で働く外国人がそれを取得するまでにはそれこそ気の遠くなるような手間と時間がかかり、観光客としてホテルに滞在し続けるような経済力のないビンボーな私たちは、今またキャンプ場での生活を余儀なくされている。幸い、私たちが滞在しているキャンプ場は短期滞在の旅行者向けではなく、テント禁止の長期滞在RV専用パークといういわゆる現代キャラバンたちが住むところで、24時間セキュリティもしっかりしており、とりあえずの安全は確保されているものの、、、慣れないRV車での生活でトラブルが続出、一番最悪だったのが、トイレ排水をためておくブラックタンクの排水を失敗しホースが外れ、頭から2週間分の糞尿水をかぶってしまったこと、、、。今思い出しても情けなさにそぞろ涙、過去の自分に心底同情、合掌。犬すら寄りつかないほど辺り一帯悪臭が漂い、呻く言葉も出ない私の隣で助けようにも固まってしまっている夫(無被害)、何事かと寄ってくるオーディエンスもあまりの惨事にかけようとした言葉を飲み込み、奇妙に静まりかえった中「大丈夫?」とふるふるしたおばあさんの声だけがぽつんと響き渡り、、、まだ捨てきれないものを幾ばくか抱えた妙齢の私にはツライ体験だった。自分たちの糞尿だからいいんですけどね。それがきっかけでご近所とも仲良くなれたし。陰で糞尿アジア人とか呼ばれてないといいんだけど。
そんなここでの生活も残すところあと数週間、来月中頃には引っ越す予定。本当に本当に待ち切れません。とにかくはやく引っ越したい。

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 オーストラリアにひとり長期休暇にきていた頃。
 友人の家にダラダラと居座ってそろそろ2週間がたち、彼女の家族にも迷惑そうな目で見られ始めてようやく私は重い腰を上げた、と書くといかにも私が自発的に動き始めたように聞こえるけれど実際は「M川、あんたの楽しみたいオーストラリア生活はこの家の中じゃなくって外にあるから」とその友人に半ば強制的にたたき出されるようにして家探しを始めた。どこかこの辺にだれか日本語の話せる人が全部教えてくれるようならくちーんに暮らせるようなとこないかなぁーと、持ち前の他力本願気質が頭をもたげ、鼻くそでもほじらんばかりの横柄な態度で、街の掲示板に貼ってあった同居者募集チラシの番号を炎天下のもとうだりながらダイヤル、そしてたまたま一番最初にかけた電話先に出たのが、のちの同居人の一人である香港人のTだった。彼は日本に4年間留学していた事があり、堪能な日本語で道順を説明してくれた。
 そこは大きな道路に面した割と小奇麗な一軒家で、3人の香港人学生と日本人バックパッカーの女の子がひとり住んでおり、その日本人がビザ切れで帰るため入れ替わりの住居人を探していた。彼女はオーストラリアが大好きで、なんで自分はオーストラリア人じゃないんだろう、なんで日本に帰らないといけないんだろうと、ほんとうに真剣に悩んでいた。
 その彼女がこっそりと「香港人3人とシェアしようなんて勇気あるね」「でも大丈夫、穴は調べたしここの人たちは心配ないよ」と2人きりになった隙に私に耳打ちした。いったいなんのことかと聞いてみたら、香港には手足を切り取られたダルマとよばれる人たちがいて、そのひとたちは香港の大きな街の大通りにいて街ゆく人にお金を恵んでもらっている、バックに香港マフィアがいるらしい、私の友達の友達の友達が香港へ新婚旅行へ行きショッピング中に試着室で神隠しのように消え失せ未だその消息は判っていない、ダルマにされたのかもしれない、ここには3人も香港人がいる、もしかしたら庭に穴でも掘ってそこに掛かった人間を本国に売りさばいているかもしれない、だから私は暮らし始める前に家中の庭に穴がないか丹念にすべて歩き回って調べたのだ、と眉間にしわを寄せながら怖いくらい真剣な顔でいうのだ。「とにかく調べ方から大丈夫」と私を安心させようと頷きながら微笑む彼女の隣で、庭を一歩一歩神妙な顔で調べあるく彼女を想像しながら「へー」なんてその場では軽く流していたが、被害妄想にとらわれやすい私は内心震え上がっていた。3日後、彼女は自分はなぜ日本人なのかという答えのでない疑問を抱えたまま、日本へと帰っていった。
 結局、ほかの家を2つ3つ見て回ったもののここより条件のいいところは見つからず、ダルマの件は気になったが彼女がきちんと調べたというし、私はこの香港ハウスで暮らすことにしたのだが、暮らしはじめて1ヶ月ほど経ってようやくここの人たちは穴を掘ったりなんかしないと信じられるようになった頃、同居人Tに「ダルマって知ってる?なんでそんなことするの、かわいそうじゃない?ひどくない?」と聞いてみた。「かわいそうだとみんながお金を恵むでしょ?」と微笑む彼の後ろに穴堀り文化の影が見え隠れ、、、怖かった。

 そしてこの香港ハウスでの生活はわずか3ヶ月後に終演を迎える。
 そもそもの原因を作る事になったのは日本にいる友達からのメールだった。「レントゲンに黒い陰が写っていてかなりやばそう」と親友の一人から「だから心配してね!」といった趣旨の中途半端なメールをもらい私はかなりブルーだった。彼女は私の数少ない親友で、たとえ親に見捨てられても彼女は私を見捨てないだろう、いやもう親にはほとほと見捨てられている私の身元引受人になってくれそうなのは彼女くらいで、その彼女をなくしてしまったら私は帰るところがなくなってしまう、というかなりな自己チューっぷりだったのだが、そんな私の心配ぶりをやや間違った方向に解釈してしまったTが、なんて友達思いの優しい子なんだと私に惚れてしまった。結局その友達は何ともなくてほっと胸を撫で下ろしたのだが、それとは別に一人歩きしはじめてしまったTの私への想いは徐々にエスカレート、その尽くし様はとどまる事を知らなかった。その頃私の英語力は毎日の生活にも事欠く有様でしぶしぶシティにある語学学校へ通っていたのだが、彼が作ってくれる弁当をもって通学、私が寝坊して遅刻しそうになれば車で送ってもらい、宿題の分らないところはすべて彼にやってもらい、ダイアルアップモデムのアカウントも彼のものを使用、日本のテレビドラマが恋しいといってはVCDを調達させ、生まれてこの方こんなに尽くされた経験がなかった私は、彼の好意をありがたくフル活用した生活を送った。彼は友達としては最高だったけど恋人としては全く私のタイプではなくて、当時彼の好意を利用するだけしていた最低な私はその後に別の形で当然のようにバチが当たりこっぴどい目にあうのだが、まぁそれはおいといて、彼が私に尽くす度合いに反比例するように、私は彼と一緒の家に居ることがだんだん苦痛になってきた。正直うっとおしくなってきたというのもあったが、彼はいい人だったから、自分の振る舞いに少しうんざりしてきていたのだ。私は意地悪で嫌なヤツはどれだけ利用しても屁とも思わないが、いい人に対しては心が痛む。意地悪で嫌なヤツである私は、いい人たちに頭が上がらないから。めずらしくモテたからって調子に乗っちゃいけない、慣れない事はしない方がいい、己のほどを知るべきと自分を戒める。
 家に居づらくなった私は、家に帰らず仲のいいクラスメイト達と夜な夜なシティで遊びほうける日々、そしてシティからタクシーで25ドルもかかるその家にいちいち戻るのが面倒くさくなりシティ近郊に引っ越すことを決意。それから後は、犬2匹と猫2匹そしてゲイ2人と暮らす日々が始まるわけだが、引っ越すことを告げた日の彼の泣きそうな顔は今でも覚えている。新しい彼でもできたの、と俯きながらぼそりと聞いてくる彼に、そうじゃないけどここは車がないと不便だから、と答えた。今思い出しても胸がいたむ。

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 私にとって野宿とキャンプの定義の違いは、シャワー施設があるのがキャンプ、ないのが野宿だ。

 生まれて初めて野宿をしたのは、クイーンズランドとニューサウスウェールズの境目にある寂れた小さな村の共同トイレ脇だった。そこには申し訳程度の煙突のついたバーベキュー用の小汚い鉄板もあり、相棒はそれだけで至極ご機嫌だったが、私は生まれて初めて経験する野宿が不安で震え上がっていた。周囲2〜3キロは民家どころかなんにもなく一帯が野原で、刻一刻と沈む夕陽が憎らしいほどきれいに見えた。火を焼べるため意気揚々と蒔探しをする相棒を尻目に、私は今夜もし最悪な何かが起こるとしてそれはいったい何でありえるだろうかということと、それに対して私はいま何を支度しておくべきなのかを真剣に考えていた。そしてすぐ脇のコンクリートでできたマッチ箱のような公衆トイレをじっと見ていたら、トイレの便器のふたを開けたら蛇がどぐろを巻いているかもしれないという被害妄想じみた強迫観念にとらわれ、一度思いついたその想像が頭から離れなくなった私は、今夜は絶対トイレに一緒についてきて欲しいとすがるように相棒に哀願。オーストラリアは世界一の毒蛇国だからと中途半端な理屈をこねながら歩く私を、やや呆れた眼差しで見つめながらも、電気がきていない女子トイレに懐中電灯を片手についてきてくれた。行く前こそ呆れ半分だったものの、いざ私が用を足している間は羞恥プレーイと楽しそうに懐中電灯の光を私の顔と股間へいったりきたりという、どうしようもなくつまらない反復作業に興じていた。トイレには蛇こそいなかったが、便座のふたの上には7センチ大のおそらくアマガエルの一種が鎮座しておりカエル嫌いな私は真っ青、そっとカエルをどかしてもらいびくびくしながら大急ぎで用を足し、子供のように懐中電灯の光で遊ぶ相棒にしらけきっていた私は、パンツを上げる間も惜しんでとっとと水を流そうと思ったそのボタンの上にさらにもう一匹、ボタンをかばうようにしがみつている緑色の背中が懐中電灯の光にぬるりと反射していた。ぎょっとした私の動作に驚いたのか、それとも光に驚いたのか、そのカエルがいきなりジャンプして私の耳をかすめて逃げ去り、私は声も出ないほどびっくりしたわ気持ち悪いわ、しかも私のそのまぬけ面をみて爆笑している相棒の隣でまだパンツも下げたままの自分が心底情けなくなり、こんな生活がこれから続くのかと思うと不安と惨めさで涙が出そうになった。
 それからは今後野宿なりキャンプなりをするなら、私が夜12時以降から明け方までトイレに行くときにかならず同行してくれることを条件とし、それがいやならトイレが室内にある宿泊施設に泊まること、さもなければ日本にひとりで帰る旨を相棒に伝え、彼はしぶしぶトイレ同伴を承諾。
 ところで私は、この旅行を始める前は1日中家で悠々自適の生活を送っており、日がら好きなだけコーヒーをがぶがぶ飲み、行きたいときにいつでもトイレにいけた私の尿道は、やばいほどゆるみきっていた。1日平均11回という私の尿生活のうち夜12時以降は約2回、毎晩彼を起こしてトイレに行っていたけれど、眠いわ私の放尿図ももう見飽きたわでだんだん同伴マシーンのように無機質になってゆく彼、その無言の圧力にもともと気の小さい私が虚勢を張って強がりを通すのも疲れてきて、まぁ私なら反対の立場なら承諾すらしないしなぁと、がんばってトイレを我慢するようになった。そして数週間後には1日5回、うち夜1回というところまで尿道を引き締め、彼には「でかした」と褒められ、私自信自身もトイレに行く回数が減って手間が減り、結局なにが言いたいのかというと、頻尿でもがんばって鍛えれば尿道筋(ってあるのか知らないけど)は引き締まる、というお話。

 後日談がある。3ヶ月ほどすぎたある日、彼が突然もう女子トイレには行きたくないといいだした。もし私が用を足している間、誰かが入ってきたらものすごく恥ずかしいし、恥ずかしいくらいならいいけど通報されたら困るし、それよりなにより毎晩懐中電灯を持って私の後ろをとぼとぼと女子トイレに通っている自分がもう嫌だ、といった。彼が恥ずかしい思いをしたり通報されたりたても、おもしろいだけじゃんとしか思えないが、「俺の事はタフガイと呼んで!」と言なく主張する彼が、毎晩懐中電灯をもって女子トイレに通う自分が情けなくなってきたというのはなんとなく理解できて、それなら男子トイレならいいのかと聞くとそれならいいというので、それからは男子トイレに行くことになった。男子トイレは女子トイレのように余計なゴミも散らばってなく意外にきれいで、しかもどの個室にも大抵トイレットペーパーが残っていて感動(女子トイレはないことが多い)、彼はこれからはもう毎日女子トイレにいかなくてもいいんだと大喜び。

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 タイトルの一部である「旅」は、私の人生において、大きなウエートを占めています。
 小さな頃から、旅行ものや冒険ものの番組や小説が大好きでした。私もいつしかあの世界の中へ入っていきたくて、いろんなところへ旅行し、ときどきはそこで暮らし、たくさんの人と出会い、ずっと行きたかったその世界にぼんやりと浸りながら、今なお見知らぬどこかへと夢見ています。
 私にとって、憧れであり夢であり恐るべき異世界であったそこは、時として平凡な輝きをもった現実でもあったりして、驚いた反面ホッとするものを感じたりもしました。
 これからここで、その世界での出来事をぼちぼち綴っていきたいと思っています。



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